CLIENT STORIES

東日本旅客鉄道株式会社

多様なお客さまを、
もっと深く理解するために

JR東日本が10日間で体得したユーザー起点の仮説検証とプロダクトづくり

取材・執筆:加山恵美

テーブルに並ぶ、斎藤 武 氏、横山 元紀 氏、岡田 憲司 氏、嘉成 千明 氏(左から)

(左から)斎藤 武 氏、横山 元紀 氏、岡田 憲司 氏、嘉成 千明 氏

東日本旅客鉄道株式会社

URL https://www.jreast.co.jp/

従業員数 45,040人

事業内容 鉄道事業を中心としたモビリティ事業、生活ソリューション事業

2026年7月1日現在

01 課題

「わかっている」前提を、あらためて見直す

日々多くのお客さまと接するインフラ企業だからこそ、課題はわかっている前提で開発が進みがち。一人のお客さまのインサイトまで掘り下げる経験が少なかった。

02 取り組み

10日間で問いと解を分け、仮説検証を体験

駅での待ち時間の可視化をテーマに、研究所やマーケティング本部などが参加。10日間の集中プログラムを通じて、参加者自らがプロダクト開発のプロセスに没入し、ペルソナ作成からインタビュー、プロトタイプ検証までを一通り実践した。

03 効果

仮説検証の考え方を、それぞれの現場へ

仮説を検証して確かめる進め方と、事実をもとに意見を言い合える場の作り方を体得。参加者は研究テーマや異動先の業務で、小さく試してユーザーに当てるサイクルを実践している。

東日本旅客鉄道株式会社(以下、JR東日本)はかねてより、ユーザーを中心に据え、仮説検証を繰り返しながら進めるプロダクト開発を実践している。ビーカインド・ラボは、その前身となる組織の時代から、JR東日本の取り組みとともに歩んできた。

JR東日本では、駅を「交通の拠点」から「暮らしのプラットフォーム」へ転換するBeyond Stations構想がある。モデル駅の1つである上野駅では、駅と商業施設が一体となって待ち時間を可視化し、「待つだけの時間」を豊かな「自由時間」に変えようとしている。

この抽象度の高いテーマをユーザーの課題から捉え直すため、JR東日本 フロンティアサービス研究所がマーケティング本部などの関係者と体験したのが、ビーカインド・ラボの10日間の集中プログラム「D&Fイマージョン・クラス」だ。その狙いと、同クラスで得たものを聞いた。

組織の視点

ORGANIZATION

「一人のお客さまに向き合う」ことこそ原点

立川事業本部 事業推進部 安全企画・CX戦略 マネージャー

斎藤 武 氏

インタビューに答える、立川事業本部 事業推進部 安全企画・CX戦略 マネージャーの斎藤 武 氏

立川事業本部 事業推進部 安全企画・CX戦略 マネージャー 斎藤 武 氏

一人のお客さまを、もっと深く理解する

JR東日本は2017年と2019年に、合わせて計12ヶ月、ビーカインド・ラボの前身となる組織の伴走を受け、新規アプリの開発とともに内製開発体制を整えてきた。その後もビーカインド・ラボの前身組織が開催する10日間の集中プログラムを複数回受講してきた。そのプログラムは、現在ビーカインド・ラボが「D&Fイマージョン・クラス」(以下、同クラス)として提供しているものとなる。

2025年、JR東日本がBeyond Stations構想に関わる上野駅の取り組みを進めていたところ、同社フロンティアサービス研究所が同クラスの実施を関係者に提案した。提案の中心にいたのが、当時同研究所に在籍していた斎藤武氏(現在は立川事業本部 事業推進部 安全企画・CX戦略 マネージャー)だ。斎藤氏自身も2023年に受講者として参加し、プロダクトを1つ作った経験を持つ。提案の理由をこう語る。

斎藤氏「時間価値の向上というテーマは抽象的で難しいものです。実際に何がユーザーの課題なのかをしっかり理解したうえで、プロダクト開発に進む必要がありました」

今回のクラスは「混雑可視化システム デザイン思考ワークショップ」(以下、同ワークショップ)として実施された。

D&Fでは、いま解くべき問題を定義するDiscoveryと、解決策を形にするFramingを分けて進める。なかでも問題を発見するDiscoveryは、一般的にはおざなりになり、形骸化しがちなプロセスだ。そこを10日間でしっかりやりきることに価値があると斎藤氏は考えた。

受講者は毎回、全員が初参加となる。背景には、JR東日本ならではの問題意識がある。一般の生活者が利用するインフラ企業である同社は、日々多くのお客さまと接している。その経験からお客さまの課題を把握し、改善につなげてきたものの、接客の中で見える課題に目が向きがちで、その背景にある本質的なニーズまで深く理解する機会は限られていた。CS向上や接遇の改善にはこれまでも取り組んできたものの、基本は多くの人が求めるものを採用してきた。一方で、一人のお客さまのインサイトまで掘り下げる経験は少なかった。

社員は現場での経験からお客さまを身体知として理解している。それでも改めて一人のお客さまに向き合うことを、斎藤氏は「お客さまを相手にする企業としての原点」だと表現する。

10日間で、問いと解を分けて決めきる

今回のチームは、研究所と上野駅のプロジェクトを所管するマーケティング本部のメンバーが中心となり、アトレや上野駅の社員も参加した。ビジネスの視点をマーケティング本部が、ユーザーの視点を研究所が担い、利用者の状況に詳しいアトレの担当者のメンバーも次第に関心を深めながら、積極的にプログラムに加わった。

斎藤氏が期待したことは2つある。1つは、ユーザー中心で考える経験をまとまった時間をかけてしっかり積むこと。もう1つは、問いと解をステージに分けながらも、有限の時間のなかで結論を出しきる経験だ。立場の違うメンバーが議論し、1つの決定にたどり着くのは簡単ではない。だからこそタイムラインを決めて暫定解を出し、仮説を立て、間違っていたら直す。一歩ずつ前進する進め方を体験してほしかったという。

近年のソフトウェア開発では浸透しつつある進め方だが、JR東日本にとっては価値観の転換を迫られることもあった。お客さまのフィールドが広く、意思決定が重いため、1つのシステム開発に数年を要することもあり、その間に前提が変わってしまうことも少なくない。基幹システムでは今でもウォーターフォール型開発が中心だが、顧客向けのサービス開発では、仮説を立てて確かめ、間違っていたら戻るクイックなプロセスが欠かせない。斎藤氏によれば、10日間の大半、受講者は苦しんでいたという。

斎藤氏「当社は事業エリアが広く、一つの施策を導入するにも簡単には後戻りできないため、十分な根拠を揃えて慎重に意思決定する傾向があります。だからこそ、『こうかもしれない』という仮説の段階で進むことには抵抗があります。しかし、まずは小さく試して検証し、間違っていたら修正すればいい。そうした進め方の重要性は理解していたものの、実際に体験を通じて腹落ちするまでには時間がかかったと思います」

手振りを交えて話す、斎藤 武 氏

立川事業本部 事業推進部 安全企画・CX戦略 マネージャー 斎藤 武 氏

前提が変わっても、インサイトは変わらない

なぜ研究所がこうしたプロセスに取り組むのか。斎藤氏は、研究所の役割から説明する。

斎藤氏「研究所は今のニーズだけに応えるのではなく、10年後、30年後を考えなければなりません。そのころには前提条件が変わっています。普段のアンケートで集める課題は、現在の前提に縛られたものです。しかし、人の根源的な欲求はそう簡単には変わらないはずです。そうした欲求に迫るインサイトを得られれば、将来どのような新しいニーズが生まれるのかを想像する手がかりになると思います」

ユーザーを観察してインサイトを見つけ、仮説を立てて試し、問題があれば変える。こうした考え方は、研究所に限らず会社全体でも大切にされつつあると斎藤氏は話す。なおJR東日本グループでは2026年1月に「グループCX戦略ビジョン2030」を策定し、お客さま体験価値の向上に取り組んでいる。

同じようにユーザー視点を取り入れようとする企業へのメッセージを尋ねると、斎藤氏は「人のことはわからないものだ」という前提の大切さを挙げた。

斎藤氏「駅で1日に100人、200人と接していれば、お客さまが何を求めているのか、日々の接客を通じて見えてくることは多くあります。ただ、どうしてもそこで把握できる課題への対応が中心となり、その背後にある思いや潜在的なニーズまで掘り下げる機会は限られています。だからこそ、相手への好奇心を持ち、理解を深め続けることが大切だと思います。有限の時間を区切り、相手に関心を持ち続けながらプロダクトを作っていくD&Fの考え方は、さまざまなことに役立つと思います」

こうした「相手に関心を持ち続ける」という姿勢は、斎藤氏がビーカインド・ラボという社名に共感する理由にもつながっている。前身の組織が掲げていた「Do the right thing」「Do what works」「Be kind」の中から「Be kind」を選んだことに、合理性や成果だけでなく、人への思いやりや感性を大切にする姿勢を感じたという。フロンティアサービス研究所もまた、そうした感性を大切にしている。今後も、一人ひとりのお客さまに向き合いながら、心の通ったプロダクトづくりを一緒に進めたいと斎藤氏は語る。

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現場の視点

FRONTLINE

思い込みを、仮説に変える10日間

主務(研究員)

岡田 憲司 氏

研究員

嘉成 千明 氏

副長

横山 元紀 氏

テーブルを囲んで話す、研究員の嘉成 千明 氏、主務(研究員)の岡田 憲司 氏、副長の横山 元紀 氏(左から)

(左から)研究員 嘉成 千明 氏 / 主務(研究員) 岡田 憲司 氏 / 副長 横山 元紀 氏

経験もカンも違う3人が「あやこさん」に向き合う

2025年の同ワークショップに参加した3人に気づきや得たものを振り返ってもらった。3人はフロンティアサービス研究所の岡田憲司氏と嘉成千明氏、そして当時はフロンティアサービス研究所で現在は電気システムインテグレーションオフィスに所属する横山元紀氏。横山氏と岡田氏は研究所側の取りまとめ役を務めながら、自らも参加者として10日間に臨んだ。

3人の出発点はそれぞれ違う。横山氏は研究所で新技術を使った新規事業の検討や大学との共同研究に携わり、アジャイル開発やユーザー中心設計に触れ、実際に研究開発業務で試行錯誤しながら実践した経験を持っていた。岡田氏は車両管理など現場の仕事から研究所に異動して約2ヶ月で同ワークショップに参加。それまで開発の経験はなかった。嘉成氏は顧客理解やデータ分析を担うチームに所属しているが、デザイン思考に触れるのは初めてだった。

横山氏自身も、みどりの窓口や駅ナカの飲食店を利用する機会はある。ただ、それはあくまで自身の経験に基づくものであり、多様なお客さまが何を感じ、何を求めているのかについては十分に理解できていないのではないか。そんな思いを抱きながら参加したという。岡田氏は繁忙期や台風など人手が必要になると駅へ応援に入り、お客さまを案内した経験がある。

岡田氏「振り返ると、自分の経験やカンでお客さまに対応していたと思います」

インタビューに答える、主務(研究員)の岡田 憲司 氏

主務(研究員) 岡田 憲司 氏

同ワークショップで最初に取り組んだのがデザイン思考におけるペルソナづくりだ。このペルソナとは、年齢や居住地といった単なる属性情報だけではなく、その人がどんな生活を送り、どんな価値観を持つのかなどを具体的に描き出す仮想のユーザーとなる。

今回設定したペルソナは、茨城県に住み、友人と上野の美術館を訪れる会社員「あやこさん」。アトレや上野駅の社員も加わって人物像を描くなかで、嘉成氏は自分の視野の狭さに気づいたという。駅には子ども連れも学生もいる。つい周囲の人物像で考えてしまうが、さまざまな立場の意見を聞けたことが大きかったと話す。

捨てる、絞る、ぶれない

10日間は、慣れない体験の連続だった。岡田氏が苦労したのは、時間を区切ってアイデアを大量に出す場面だ。いいもの、完璧に近いものを出さなければと力が入り、ペンが進まない。そこで教わったのが、フラットに考えることだった。

出したアイデアは、グループに分けて絞り込む。嘉成氏は、いいアイデアを捨てることを「もったいない」と感じていた。横山氏が衝撃を受けたのは初日だ。ペルソナの課題仮説を書き出し、重要でないものは隣の人に渡して破ってもらう。捨てることが大切だと、身をもって知ったという。

駅、商業施設、本社のビジネス担当、研究所と、多様な人が集まって1日でビジョンをまとめる経験も初めてだった。そのビジョンとペルソナが、あとになって効いてくる。検討の途中、「駅と商業の両方をテーマとしている以上、みどりの窓口にも焦点を当てたほうがよいのではないか」という声が上がったこともあった。

横山氏「最初にペルソナを設定し、ビジョンを明確に言語化していたことが非常に効果的でした。途中で議論が脇道にそれかけても、『私たちは何を目指していたのか』に立ち返ることができたんです。あやこさんに焦点を当てた具体的なプロトタイプを作り上げられたのも、その土台があったからだと思います」

インタビューに答える、副長の横山 元紀 氏

副長 横山 元紀 氏

事実があるから、意見が割れても前に進める

チームはユーザーへのインタビューを行い、やりとりをすべて文字にしてカテゴリーに分け、課題を見つけていった。その課題を反映したプロトタイプを作り、再びユーザーに当てる。岡田氏にとっては、インタビューそのものが初めてだった。

岡田氏「以前の自分なら、経験則で『おそらくこうだろう』と仮説を立てて、それが意味のある検証になるかもわからないまま進んでいたと思います。手順を踏めば、こうしたサービスでもきちんと効果検証ができると分かりました」

検証したのは、「30分の待ち時間があり、空席情報を知った4人のうち3人以上が、飲食店を利用したいと答える」という仮説だ。結果は概ね仮説を支持するものだった。

嘉成氏「10日間なのに、仮説を立ててユーザーに当てはめ確かめる一連の流れについて、非常にスピード感がありました。感覚として思っていたことが、確証に変わっていくことが実感できたんです。仮説と検証は研究としてあるべきサイクルですが、普通の業務ではどうしても時間がかかります。それを10日間で一通り学べたのは大きかったです」

笑顔で話を聞く、研究員の嘉成 千明 氏

研究員 嘉成 千明 氏

感覚として思っていたことが、確証に変わっていく。

研究員 嘉成 千明 氏

一方で、すべてのアイデアが期待どおりに受け入れられたわけではない。何が出てくるかわからない楽しさを狙ったガチャ形式のアイデアは、チーム内では好評だったものの、ユーザーからは「信頼感に欠ける」「自分の希望に合わない店舗を勧められても使いづらい」といった反応があり、アイデアの面白さと実際のニーズにはギャップがあることが明らかになった。早めにユーザーに当て、否定的な反応も受け止めることが大切だと横山氏は振り返る。

同じインタビューを見ても、受け止め方は人によって割れる。「あの発言は好印象の表れだ」という人もいれば、「そういう意味ではない」と受けとめる人もいる。それでも議論が前に進んだ理由を、横山氏はこう分析する。

横山氏「インタビューで得た事実は事実として共有し、それをどう解釈したかを意見として話してもらいました。ユーザーから得た事実があることで、議論が個人の思い込みや好みに左右されにくくなります。意見が分かれても根拠をもとに話し合えますし、最終的には納得感を持って判断できる。そこに大きな価値があったと思います」

意見を出しやすい場づくりも支えになった。賛否を一斉に手で示すローマン・ボーティングなどの手法に加え、雰囲気づくりにも気を配ってもらったと岡田氏は話す。

嘉成氏「自分だけみんなと違う賛否を出してしまったときは、少し不安を感じました。でも、出し合った意見をみんなで話し合うと互いの意図を理解できるようになるので、安心して自分の意見を言えるようになりました。心理的安全性がありましたね」

岡田氏「ほとんどの人が賛成しそうなときでも、反対意見を言える雰囲気でした。そういう理想的な状態を知れたことが大きかったです」

10日間で得たものを、それぞれの現場へ

参加者は、得たものをそれぞれの現場に持ち帰っている。横山氏の現在の部署は、乗務員(運転士・車掌等)と指令員が通話するデジタル列車無線をはじめとする鉄道通信システムの開発を担う。技術を強みとする組織だからこそ、ユーザーとビジネスの視点を根付かせる仕組みづくりにも力を入れている。一方、岡田氏は、駅のサービスに人型ロボットを生かす研究を進めている。初めから完璧なものを目指すのではなく、まず簡単な動きで駅に置き、お客さまの反応を確かめながら改善を重ねている。嘉成氏は、高輪ゲートウェイ駅のように新しくできる駅で、お客さまが安心してワクワクできる街づくりに経験を生かしたいと話す。

テーブルを囲んで話す、ワークショップの参加者

最後に、同じような課題に向き合う読者へのメッセージを聞いた。

横山氏「仮説検証はとても魅力的な取り組みだと思います。みんなで考えたアイデアを形にし、実際に価値があるのかを確かめながら磨き上げていく。そのプロセスを通じて自分自身も成長できますし、よりよい形で社会に価値を届けられると感じています」

嘉成氏「仮説と検証をしっかり行えばユーザーとの乖離がなくなるし現実的には手戻りも少なくなる。大事なサイクルだと思います」

岡田氏「決められたプロセスを踏めば、そのつどアウトプットが出て、再現性のある進め方ができます。開発以外の普段の仕事にも生かせるものがたくさんある手法です」

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